いい話だった。
聴覚障害の方の話。以前、研修で聴覚に障害のある子のための特別支援学校に行った時に見た、先生たちも子どもたちもとても言葉を大切にしている姿を重ねながら読みました。
いい話だった。
聴覚障害の方の話。以前、研修で聴覚に障害のある子のための特別支援学校に行った時に見た、先生たちも子どもたちもとても言葉を大切にしている姿を重ねながら読みました。
新しい職場でも山友を見つけましてね、行ってきました。
こんな時期なので、バスもケーブルもがらがら。登山道もがらがら。
とても歩きやすいです。時々、凍結とわずかな雪がありましたが、
快適です。
ここは森がきれいでね。すっかり葉を落とした冬枯れの林から青空が見えてとても気持ちがいいのです。
山頂はさすがに人がいましたが、いつものように食べるところを確保するのに苦労することなく、ゆっくりとランチ。
で、あっさり下りてきました。ロックガーデンはパス。
なんかやる気なかったけど、行けてよかった。歩くと気持ちがよいね。
今日も山の神様に感謝です。
まあ、どおでもいいけど青梅マラソンには悩まされました。、
観音崎行ってまいりました。
あまりの寒さに凍えそう。でも灯台に登ってすごい絶景を見るんだ、、、と張り切っていったんですけど、
工事中でした。
張り紙を見てショックを受けていると、一人で来ていたおじさんが
「もー。なんだよ~~~」と私たち以上にショックを受けていました。
観音崎ってこんな道多いよね。
で、帰りに走水のなんとか水産で、レジ袋いっぱいのわかめを300円で購入、刺身で食べ、しゃぶしゃぶで食べ、わかめごはんで食べ。まだあとサラダ1回分ぐらい残ってます。
また別のなんとか水産で、佐島のヒラメの刺身(神経締め)を買って帰りました。もう初めて食べるようなおいしさ。最高、最高。
三浦半島の恵みで遊んで、食べて、リフレッシュです。
なんと今日は車で40分で着きました。近い。横横さま様です。
前の記事の続きです。前回は教員資格認定試験を受けるまでの経歴を書きました。
今回は認定試験についてとその後の自分の経歴と考えを書きます。
教員資格認定試験は、広く一般社会に人材を求め、教員の確保を図るため、大学等における通常の教員養成のコースを歩んできたか否かを問わず、教員として必要な資質、能力を有すると認められた者に教員への道を開くために文部科学省が開催している試験です。(←文科省から引用)
で、小学校2種の免許をこれでとろうと思い、調べたら、もう募集が始まっておりまして、あわてて応募。
3か月の勉強であっさり合格。(幼稚園1種を持っていたので、一番負担が軽い受験方法でしたし、教職教養に関しては幼稚園の先生になるために勉強していたことと変わらなかった。)これはもう人によって受験科目や今までの勉強の積み重ね等々あるので、難易度はバラバラです。まったくの異業種の方が受けるとなるとかなり大変だということを理解しておいてください。一般的に言われている難易度より、教員にとってはかなり優しいし、そうでなけでば(異業種、学生など)かなり難しいという感じでしょうか。
次の年から非常勤講師として教壇に立つことになりました。
まあそうこうしているうちに7年が過ぎ、子どもも大きくなったので、非常勤をしていた学校から声をかけていただき、そのまま臨時的任用職員として担任業務について早5年。長くなってきてもこのままだったらなんだかなあと思って、採用試験も受験し、3年目で合格。これだけはあっさり合格できずに苦労いたしました。(面接の点が極端に悪かった。)
この試験、一時は廃止にするとか、言われていましたが、だんだんと受験者は減っているようではありますが、文科省から教職員支援機構に管轄を移行しながら存続しているようです。
教員免許を持っているものにとって、免許を取るだけならこんな楽な制度はありません。私が受験したころは受験料も5600円でコスパも最高。教育実習も1日どこかに見学に行くだけだし、教員免許を持っている私には、それさえ、ありませんでした。
ただ、ただ、この制度を使う人は安直に考えない方が良いです。最近の教員養成系の大学はかなり実務ができるようになるまで仕込んでから卒業させてます。学生の間から、実習以外でもボランティアとかなんだかんだで子どもたちを触れ合う機会も多く、もうまさに職業訓練校に近いです。
指導案の書き方だって、私のころのように大学で1回ぐらい書いて、実習先で2回書いて、はい就職(公立幼稚園のばあい)、
今時、そんなことは絶対にないから。私が大卒のころと違って、就職してから学ばせてもらえるなんて余裕は現場にはありませんから。
小学校は初年度から担任。見習いの期間はありません。これで実習も行ってなくて本当に教員ができるのか、非常に疑問です。勉強もしていない、経験もない。趣旨である今までの社会経験を活かすための免許は、活かす手段を得られていないまま与えられ、現場にほおりだされるわけです。ひーーーーーーーーー。
優秀な人なら全く問題ないと思いますが、私はそうはいかないので、非常勤の間は勉強する時間だと思って勉強だけはさせていただきました。だから非常勤はよいかと思われがちですが、非常勤の教員の仕事への支援は皆無。みんなのやっていることを盗むか、自分で身につけるか。
お勧めできません。マジでやりたい人はせめて通信教育にして指導案の書き方だけでも指導されておいた方が良いです。私も大学で普通に取れた小学校の免許を何も考えずにとってなかったのが悔やまれます。
まあ、まてよ、そんなに簡単にとれるなら、、、、
こんな活用はいかがでしょうか。
悪評高き、免許更新の制度に注目してみましょう。、新しい教員免許を取ったら今までとった免許と一緒に10年有効期間が延びます。なので、免許更新の代わりに使うという方法です。教職教養を新たに勉強しなくてもよい、高校、中学や幼稚園の教員はかなり免除科目もあり、下手に更新のための講習に行くよりも手軽でお得なのではないでしょうか。
教員資格認定試験にはそのほかにも特別支援学校自立教諭の免許も取れます。こちらもワタクシ受験し、言語障害を取得いたしました。
若干ではありますが、そちら系統の心得がありましたゆえ、合格いたしましたが、こちらの方が教員にとっては、非常にハードルが高いのではないかと思います。かなり勉強しまして、まぐれで受かった感あります。勉強の内容はとても有意義で、勉強自体は楽しかったです。
私はこの免許で10年教員免許の有効期限を延ばしました。
この免許は知名度も低く、あまり活用されておりません。なので宣伝して、皆さんから言語についてのご相談を受けられるようにしていきたいとは思っています。
教員免許をお持ちの皆さん、特に現場経験をお持ちの方、免許更新の代わりに教員資格認定試験も考えてみませんか?文科省のページに過去問もありますので、チャレンジしてみませんか?
現在、今年から小学校の正規教員であるひよどり先生のことをお話ししましょう。
年齢は恥ずかしいので言いませんが、ぎりぎりの40代です。
経歴を言うと、大学では自閉症研究の先生のゼミに入り、障害のあるお子様たちと過ごす楽しい研究室時代を送りました。この研究室では週に2回、療育があり、そこに担当の子どもが通ってくるので、研究室の偉い人が作った課題を学生がお子様にやっていただくという、ただばたらきかよ、みたいな日々を送っていました。また週1回は成人対象のお料理教室でお料理を作ったりもしていました。ここでの生活は人生の中でもかなりの自分の人格形成をした場所でもあります。
で、卒業後、大阪の公立幼稚園で働くことになりまして。
そんな大学の経験を買われ、クラスの中で、障害のあるお子さんを複数担任することも。天職と思ったこの仕事も、たった5年半のキャリアしかつめずに夫のいる横浜に来るために結婚退職。
新天地で気楽にまた採用試験をうけて幼稚園で働こうと考えていたら、なんと、、、、、、
横浜には公立幼稚園がない。
政令指定都市なのに、マジかよ。
下調べが足りず、うっかり夫についてきてしまい、痛恨の日々。どうするか迷っているうちに速攻でめでたく妊娠。
子どもが1歳になってすぐに気持ち切り替えて、練習のつもりで公立の保育士の採用試験を受けました。高倍率でありながらまだ現役から退いて間がなかったこともあり、あっさり合格。合格予定ではなかったので、また下調べが足りず、この辺の保育所事情が悪いことも知らず、息子の預け先問題ににぶち当たり、心が折れて採用辞退。
あー、私は一生、フルタイムで働けないのかと落胆。
まもなく、息子は結構ひどいぜんそくを発症し、幼稚園に入るころは毎日発作を起こし、朝の発作が治まってからとか、夜中の発作がひどいかったからとか、なんだかんだで遅れて登園の日々。これは働いている場合ではない。自分も夜が眠れず、親子で疲れる日々を送っておりました。
で、息子が年中の時、2人目の娘が生まれ、また子育てに忙殺される日々。
そうこうしているうち、息子も小学校に入り、少しはぜんそくも落ち着き、毎日、安定して登校できるようになってきました。
娘が3年保育の幼稚園に入ったらすぐつとめようと、彼女が2歳になったら、幼児教育の仕事を幼稚園教諭と保育士と両方を探しましたが、なかなか前職のお給料と同レベルのというわけにもいかない。これでは幼稚園以外に娘を預けるお金の方が上回ってしまい、経済的なためではなく、ほんとにキャリアだけのために働くことになってしまう。
こうなると預けなくてもよくなる年齢まで待つか幼児教育はあきらめるかの二者択一を迫られるわけです。
あきらめよっと。
で、ここで登場するのが教員資格認定試験なのです。じゃじゃーん。
今日はここまで