現在、今年から小学校の正規教員であるひよどり先生のことをお話ししましょう。
年齢は恥ずかしいので言いませんが、ぎりぎりの40代です。
経歴を言うと、大学では自閉症研究の先生のゼミに入り、障害のあるお子様たちと過ごす楽しい研究室時代を送りました。この研究室では週に2回、療育があり、そこに担当の子どもが通ってくるので、研究室の偉い人が作った課題を学生がお子様にやっていただくという、ただばたらきかよ、みたいな日々を送っていました。また週1回は成人対象のお料理教室でお料理を作ったりもしていました。ここでの生活は人生の中でもかなりの自分の人格形成をした場所でもあります。
で、卒業後、大阪の公立幼稚園で働くことになりまして。
そんな大学の経験を買われ、クラスの中で、障害のあるお子さんを複数担任することも。天職と思ったこの仕事も、たった5年半のキャリアしかつめずに夫のいる横浜に来るために結婚退職。
新天地で気楽にまた採用試験をうけて幼稚園で働こうと考えていたら、なんと、、、、、、
横浜には公立幼稚園がない。
政令指定都市なのに、マジかよ。
下調べが足りず、うっかり夫についてきてしまい、痛恨の日々。どうするか迷っているうちに速攻でめでたく妊娠。
子どもが1歳になってすぐに気持ち切り替えて、練習のつもりで公立の保育士の採用試験を受けました。高倍率でありながらまだ現役から退いて間がなかったこともあり、あっさり合格。合格予定ではなかったので、また下調べが足りず、この辺の保育所事情が悪いことも知らず、息子の預け先問題ににぶち当たり、心が折れて採用辞退。
あー、私は一生、フルタイムで働けないのかと落胆。
まもなく、息子は結構ひどいぜんそくを発症し、幼稚園に入るころは毎日発作を起こし、朝の発作が治まってからとか、夜中の発作がひどいかったからとか、なんだかんだで遅れて登園の日々。これは働いている場合ではない。自分も夜が眠れず、親子で疲れる日々を送っておりました。
で、息子が年中の時、2人目の娘が生まれ、また子育てに忙殺される日々。
そうこうしているうち、息子も小学校に入り、少しはぜんそくも落ち着き、毎日、安定して登校できるようになってきました。
娘が3年保育の幼稚園に入ったらすぐつとめようと、彼女が2歳になったら、幼児教育の仕事を幼稚園教諭と保育士と両方を探しましたが、なかなか前職のお給料と同レベルのというわけにもいかない。これでは幼稚園以外に娘を預けるお金の方が上回ってしまい、経済的なためではなく、ほんとにキャリアだけのために働くことになってしまう。
こうなると預けなくてもよくなる年齢まで待つか幼児教育はあきらめるかの二者択一を迫られるわけです。
あきらめよっと。
で、ここで登場するのが教員資格認定試験なのです。じゃじゃーん。
今日はここまで