コロナ騒ぎの中、勤め先で卒業式があった。
このご時世の標準仕様である、在校生も保護者も来賓もおらず、式も短く、練習もしていない式である。せっかくの門出にどうなんだろうかと、いつものようにやってあげられなかった思いを持ちながら本日を迎えたわけだけど、
結論から言うととても良い式だったんですね。私は6年の担任ではないけど、もう感動しましたよ。
式の始まりはあんまり緊張しないでリラックスして入場してきたんだけど、それもとてもかわいくて。
みんな席に着くと、練習していないから、歩く位置や順序は先生の先導。またこの先生の先導が素晴らしく、笑顔でほぼ小さな合図だけで静かに子どもを導いていく。ちゃんとその合図を見逃すまいと真剣な子ども。そして証書は、お作法も教えたわけではないから、自分の知っている範囲で精いっぱい敬意を表して、緊張して立派に受け取ろうとする。何回も練習しているわけではない、一発勝負の緊張感の中で、友達に対しても頑張ってとエールを送る気持ちがあるのか、まさかの集中したピリッとした非常に厳粛なムードであったのです。
そのあと、教師と子供が向かい合い、
歌もちょっとだけ練習したものを思い出しながら歌い、そして教師からも歌を送って、最後はみんなで指揮者を向いてみんなで合唱。
いつもは脇役の我々もちょっとでも誇らしい気持ちを持たせてやりたいと直接子供の顔を見て、子供に直接歌いかけて、語り掛けられた。
そして式が終わり、写真撮影はいつものやんちゃな顔に戻り、
もう、久しぶりに会えた友達に興奮して、ほんとなかなか静かにしないし、もう、写真屋さんをイライラさせてしまったんだけど、それもよい思い出かな。
今日は本当に暖かくて、厳粛で素敵な式だったのです。
「これはこれでいいんじゃない?」
この言葉は児童のほうから出てきた言葉。
卒業式を見られなかった保護者の皆さんには、残念でしたが児童たちはこの式できちんと前を見据えて、一つステップを上がれたように思いました。シンプルに子どもだけが主役の式でした。皆さんに感謝したりすることはできなかったけど、今日の節目を応援したかった方々に伝わればなあと思いました。
いつもと違う流れで急遽いろんな仕事をしたり、考えたり、緊張したりしたりして、そしてちゃんと送り出してあげられたから今日はぐっすり眠ろう。
6年生の先生、お疲れさまでした。