急にあべちゃんに休校の要請を受けたことによる影響

私は小学校教員をしている。最近、成績処理等々で忙しく、しかも風邪をひいてしまい、でも早く帰ると自分の首を絞めるだけという状況の中、

 

あべちんが休校要請をしたニュースを職員室で聞いた。

 

ひーーーーーー!!!!!!!!!!

 

まじかーーーーーーーーーーー!!!!!

 

あんまり驚くと言葉というものはあまり出ないということを再確認した。

 

5分ぐらいたつとショートした頭に再びスイッチが入り、想定される様々なことを思い浮かべるのであるが、末端の教員があれこれ思慮を巡らせたところで何一つ前に進む物がないことがわかり、また、家に帰っても家事をする気力がないことがわかり、

急遽、夫に晩御飯を買って帰ってもらうように指示を出し、ほとぼりが冷めたころとぼとぼと帰宅した。

いいクラスだったんだけど、明日で突然終わりなのね。私ったら、感傷に浸るかと思われたが、

自分の守備範囲外の学年を初めて持つことで苦労した1年を思い起こして、いやいや、大きな問題が起こる前に逃げきれてラッキーだったなとか不謹慎なことを思うことで

精神の均衡をはかろうとしてしまった。

 

大きな精神的な混乱が見られた。

 

私の場合、仕事上だけの混乱であるが、お子さんをお家で見なければいけない職員の場合はこんなのんびりしたことは言っていられない。

 

家に帰るとJKな娘は大喜びでお友達とラインのやり取りに忙しい。

明るい、やけに明るい。上機嫌だ。

 

翌日、もしかしたら今日が小学校最後になる日になるかもしれない6年(担任していない。)を感傷にふけりながら、おはよう、おはようと声をかけてみた。

 

妙にさわやかである。

 

帰りに大量の持てるだけの荷物をもって颯爽と帰っていく6年生たち。

いやこの子達にとって、卒業式ができないかもしれないなんて、本当に小さなことかもしれない。それより、これから待っているいろんな事柄に向かって、いつも前を向いて生きているんだなとつくづく感じた。コロナについて不安に思っている子もそうでない子も、学校が急に休みになるという目先の非日常の生活がどうなるのかに、大人の感性とはちがって、怖いもの知らずで興味を持っている子どもたちのたくましさに

 

元気をもらうというかなんというか、勇気をもらうというかなんというか

 

この非常時、なんとか乗り切っていこうぜ、子どもたち心配しないで生活するんだぜって前向きに気持ちにさせられた。

 

そして帰りにドラッグストアに行ったら、ティッシュもトイレットペーパーも消毒系のものも、いろんなものが売り切れていて、また気持ちは沈むんだけど、

 

あの颯爽と帰っていった6年の姿を思い返して、たくましくしたたかに生きていこうと思った次第である。

 

また、全く別の話にはなるけど、あまりにも急で、拙速な対応が世の中の不安をあおって無用な買い占め行動を起こさせたのかなあと思う。世の中、不安になると人は無用なものを買い占めるという行動に走ることはさすがに半世紀生きてきたら経験的にわかってきて、根拠がなければ1週間もすれば落ち着くことも分かっている。

 

でももし目の前で商品が入荷されたらきっと買ってしまうだろう。家に十分にあったとしても。私だって不安なのだ。